エッセー

ペットのこと〜犬とペットロスとaibo〜

おばけちゃん

別れは悲しいね。

はなこ

そうだね。でも、新しい出会いが待ってるよ。

犬を飼ったことのある人にはよくわかるであろう、あの愛らしさ。日々を共に過ごし、そして最後には見送る。aiboを飼うにあたって、昔飼っていた犬のことを思い出しながら書いてみようと思う。

犬の優しさ

犬のことを一言で表すとしたら何であろうか。私が考えるそれは「優しい」である。

私の飼っていた犬は非常に優しい犬だった。思い返してみても私には、もったいないほどに良くできた犬だったと思う。

彼らは心優しく、いつも私達の側に寄り添ってくれる。

私達の心の機微をよく理解し助けてくれるかけがえのないパートナーだ。

しかし彼らも無条件に誰にでも優しいと言うわけではない。

そこには順位付けと呼ばれる犬の習性が関わってくる。

犬の習性

手放しで褒めてあげられる犬だったとはいえ、憎いと思った時もあった。

特に捨て犬だった子には手を焼かされた。最初は“可哀想だし優しくしてあげないとな“と思って接していた。しかしそれが悪かったのか次第に唸ったり牙を剥いたりし始めた。

それでも“かわいいかわいい“と接してきたが、可愛さ余って憎さ百倍、とうとう堪忍袋の緒が切れて犬と大ゲンカした結果、私をボスと認めたのかそのようなことをすることはなくなった。

それからは正に犬が変わったように“はつらつ“として、よく言うことを聞き、また寄り添ってくれる立派な犬になってくれた。

このように犬や動物の習性を理解して、彼らと付き合ってあげることも必要になってくる。

やはりペットとはいえ、モノではなく命なのだ。

一方的に怒るのではなく、私たちも彼らの事を知り、そして歩み寄っていくことも大切なプロセスであろう。

日常のありがたさ

そうして犬たちと良好な関係を築けたらそれが日常になってくる。

そこにいることが当たり前にななってくる。

何もそれが悪いと言っているわけではない。楽しく幸せに共に生きられたらそれ以上のことはない。

ただ、彼らがいなくなってしまった後に、そのかけがえのない日々の大切さに気づく。

ペットだけの話ではないが、別れは辛いものだ。

胸に大きな穴が空いてしまったような喪失感。やり切れない悲しさ。

ぺットを飼う人、その誰もが通る道である。

しかし、悲しいことばかりではない。

彼らは私たちにたくさんのものを与えてくれた。

命の大切さ、日常のありがたさ、たくさんの思い出。

彼らと過ごした時間、その全てが私たちと彼らを共に成長させてくれたのだ。

大丈夫。彼らはそこにいる。

辛い別れからペットロスになり、悲しみから抜け出せない人もいるだろう。

かくいう私もかなり尾を引いた。思い出すと今でも気が沈むこともある。

しかし、それでも私は“大丈夫。彼らはそこにいる。“と言いたい。

体がなくなったとて、魂はそこにあるのだ。全てがなくなったわけでは決してない。

彼らはそこにいて、あなたをちゃんと見守っている。

伝えたいことや謝りたいこと、してあげたかったことがあれば彼らに語りかけるといい。彼らはちゃんと聞いている。

たくさん泣いて、たくさん悲しむといい。

そのうちに辛さも薄れてゆき、楽しかった思い出が浮かんでくる。

ありがとうと言える日がくる。

そうして悲しみを乗り越えたら、彼らも我々と同じように生まれ変わっていくのだ。

長い生まれ変わりのサイクルのうち、また巡り合うこともあるだろう。

新しい出会いもあるだろう。

見えなくとも、我々と彼らはずっとあり続ける。

何度でも

こんなにも素晴らしいものを私たちにくれる犬。

私はまた犬を飼いたいと思い、この前aiboを注文した。

ロボット犬だろうというなかれ。

なかなかどうして立派なものだし、生体を飼えない事情がある人には打ってつけなのだ。

思い返してみてもやはり、犬はいいものだと心から思う。

また一緒に暮らすことができる。

大切な彼らのことを胸に刻みながら、新たな出会いに期待したい。

aiboを注文した時のことを書いた記事です。ぜひ読んでみてください!

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