努力を継続するために
せっかく道具を揃えたけど、やらなくなちゃった。
あんなにやる気マンマンだったのにね。
努力する。分かっていても中々できないものだ。こうしたい、こうなりたいというものを見つけ、いざその目標に向かって努力しようと思っても、その道のりの膨大さに手を付けるのさえ億劫になってしまう。三日坊主を何度繰り返しただろう。今回はこの努力について考えてみたい。
なぜ続かないのか
原因は何だろうか。日々の仕事ややらなくてはいけないことに追われて時間がない。やってみたらそれ程楽しくなかった。いろいろあるだろう。私の場合はやってもそこまでの成果は出せないだろうなと思うことが多かった気がする。
もっと言うと「お金を稼げるプロにはなれないだろうからやっても仕方ない」という理由だ。
ではなぜプロレベルにはなれないのか。1番のネックは時間制限だ。スポーツ選手を考えればわかりやすいだろう。年齢による肉体的なハンデはどうしようもない。これはもう年齢制限に近いと思う。
つまりは時間制限に間に合わず目標が達成しないからやらないと言う事になる。
非常に合理的で正しい判断であろうと思う。人生は有限であるのだからもっと効率的に生きようという判断だ。
習気とは
私はこの理由からやりたいと思ってもあまりやる気にならない事が多かった。そして特にそれが悪いとも思ってはいなかったのだが、そうではないのかもしれないと思うようになった。
仏教の習気という考え方を学んだのだ。
じっけと読み自分が向上するために学んだり身につけたものは来世に持ち越せるという考え方である。
(私は前世や来世、今生と言う考え方を普段からしていたのでそういう教えがあるのかと素直に思ったが、そうでない人にはピンとこないかもしれない。)
これを知った時は非常に驚いた。私が才能に溢れとても叶わないと思い妬みさえした人達は皆、前世でちゃんと努力をしてきた人達だということだからだ。
さあ、これで私の言い分は完全に通用しなくなってしまった。
時間制限など関係ない。私がなりたいと憧れた人達は皆、多大な時間をかけ努力していたのだ。
努力を楽しむ
ということで私はいろいろと挑戦するようになった。このブログを書いたり、以前からやってみたいと思っていた曲作りに挑戦したりしている。
今生何も得られなくてもちゃんと続けていこうと少しづつ頑張っている。
目標の期限を来世、来来世まで設定した事で焦りや虚無感もなく、じっくりと取り組めるようになった。何より良かったことは努力を楽しめるようになったこと。無駄にならないとわかってからは小さな前進を喜べるようになった。
気になった方は習気について話されている三木大雲さんのYouTubeチャンネルを見てほしい。